- 投稿日
- 2018年8月27日
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【パワハラ体験談】女社長の憂さ晴らしからパワハラ
パワハラをするのにきっかけはなんでもよかった。
今から6年前、40歳で事務員として今の会社に採用されました。会社は社員数10人ほどの小さなシール会社。スーパーの商品に貼る値引きシールを卸す会社でした。小さな会社ながら亡くなった前社長が有能な方だったため、顧客は全国にあり、毎年の売り上げは億を超えていました。私は、その前社長が亡くなられた数年後に入社したのです。
会社は奥さんに引き継がれていました。専業主婦だった女性が社長になったのですから何もわかるわけがありません。実質的な会社経営は、長年会社に在籍している部長が仕切っていました。社長はいわば、ただのお飾りです。本人はそれが面白くないのか、事務員に対してパワハラを繰り返し、憂さを晴らしていました。
パワハラをするのにきっかけはなんでもいいのです。いえ、きっかけさえない時もありました。仕事のことで話しかけてもひたすら無視。何かミスをすると聞こえるようにネチネチ他の人に愚痴を言う。私が入社するまでに数人が辞めて、私が入社してからもかなりの人が辞めました。事務員がひとり辞めると、ひとり補充します。事務員は2人だったので、それは変わりませんでした。
パワハラは、あえて言うなら順番でした。ひとり辞めると、次の古い人をターゲットにします。約2年前、私より先に入社していた人がパワハラに負けて退職してしまったので、次は私の番でした。パワハラはすぐに始まりました。無視され続けました。仕事のことで話しかけると、あからさまに嫌な顔をされます。
【パワハラの影響でうつの症状が】理不尽だと思いながらも謝り続けるしかなかった。
せめてミスをしないように気をつけていましたが、回されてくる仕事まだ新しい事務員が入って来ないので、仕事量は2倍に増えて、自然とミスは増えて行きました。そのたびに営業さんが帰社するたびに私のミスを言い回っていました。女のいじめ特有のやり方です。営業さんは私の辛さは理解してくれていましたが、助けてはくれません。彼らも家庭があるので社長に逆らうわけにはいかなかったのでしょう。
新しい事務員が入って来てもパワハラは変わらず、やがてうつの兆候が出てきました。最初に感じたのは頭が重い感じです。それから記憶がところどころなくなってしまう。仕事をしようと席に座ってもすぐには手が動かなくなってしまいました。
ある日、金庫の中のお金を計算していると、数百円が足りません。昨日まではぴったり合っていたのに、どれだけ計算しても合わないのです。私は覚悟を決めて社長に謝罪をした上で報告しました。すると社長は皆の前で私を大声でなじりました。「役立たず」「お金の大切さがわかってない」揚げ句の果てには「あなたが遣ったんじゃないの」と言われ、私は理不尽だと思いながらも謝り続けるしかありませんでした。
最終的に「足りない分はあなたが弁償しなさい」と言われて、私が自分の財布からお金を金庫に入れようとした時、ちょうど外回りから営業さんが帰社して、私に宅配便の伝票を差し出しました。「朝渡すの忘れてた。昨日の夜、着払いの宅配便が来て金庫からお金払ったから」その伝票に書かれている金額は不足分そのままでした。私はほっとしたものの、もう退職する気持ちは固まっていました。
【手のひらを返したような態度に嫌気】最後にストレスを吐き出せたことが良かった。
病院で診断したわけではなかったですが、明らかに精神状態がおかしいのはわかっていたので、もうこれ以上のパワハラに耐えるのは無理だと思いました。私はその日の帰社時に退職の意思を社長に告げました。退職までの期間は有給休暇を取得します、明日から出社しませんので退職の手続きと書類を揃えてくださいとお願いしました。すると社長は慌てて「今日のことはごめんなさいね、言い過ぎたわ」と謝ってきました。そして私に退職しないよう促してきました。
なぜなら、新しく入社してきた女性はあまり仕事ができない人で、私が辞めると仕事が回らないことはわかりきっていたからです。「ねえ、辞めないでよ~」と猫なで声で言われて、生理的に吐き気を催した私は、初めて逆らいました。「そうやって、優秀な人を今まで何人も辞めさせてきたんでしょ!」「私が辞めても社長が事務を教えてあげればいいじゃないですか!」そうまくし立てて、そのまま会社を出て行きました。最後に吐き出せたことがよかったようです。
翌日から病院に行ってうつの治療を始めましたが、軽い病状で済んで、薬を飲みながら就業は可能だということでした。退職するつもりでいましたが、何度も会社から電話がありました。私が退職したあと、新しい事務員もすぐに辞めてしまったそうです。私に対するパワハラを近くで見ていたから怖くなったのでしょう。残ってあげてもいいとも思いましたが、生理的にあの社長は受け入れられなくなっていたので、当初通り退職を改めて伝えました。今はそれが正しかったと思っています。