- 投稿日
- 2018年9月6日
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パワハラの知識は武器、うつ病を調べて鎧にする
入社2ヶ月で副店長へ昇格したのがパワハラの始まり
大学出たての22歳、国内では当時業界トップ3に入るレディスアパレルブランドショップを展開する企業へ新卒入社しました。 従業員数は1000名超、日本全国に当時700店舗、中国やタイに数10店舗を展開しており、私は東海地区のとある中核都市のショップへ配属されました。そのショップは大型ショッピングモールへのテナント出店という形を取っており、入社当初はショップ近くに会社がアパートを用意してくれて、通勤に長時間を費やすことはありませんでした。
レディスとはいえアパレルショップ店員は大学時代にアルバイトで経験済みだったので仕事の流れを覚え易く、最初の2ヶ月は楽しく仕事ができました。やっと現地に慣れ始め、土地勘が付いてきた矢先に、隣の市にできる新店へ副店長として異動する話がきました。 ショップ店員経験者とはいえ、入社2ヶ月で副店長へ昇格させるあたり、これが社会かと面食らいましたが、この後襲い掛かる地獄を知るよしもなく、なんとなくでOKしました。
私と共に新店へ異動したのは県内の十数店舗を統括する女性スーパーバイザー(以下SV)で、他の店舗での業務が多いため自店にいることは少なく、私が店長の代理業務をこなすことがありました。 このSVがなかなか気合の入った人で、効率よりも元気があれば何でもできるというタイプでした。新店への異動が決まった段階で、自宅からその店まで車で2時間半ほどかかるのに「引越し?いらないよね?通える通える」と、店舗近くへ引越しをさせてもらえず。これだけならまあ、高速を使えば1時間で着くのでまだよかったのですが、私が休みの日に県内の他の店舗へ勉強のため見学に行ったことが気に入らなかったのか、遠隔地へのヘルプに出されることが増加していきました。
過大な要求?怒りや不条理さではなく、パワハラされる理由が知りたかった
遅番のある日は、車で片道2時間ほどかかる別の店の店長の昼休憩を回すためだけに向かわされたのですが、行った先ではなんと店長のワンオペ。 どこに何があるかわからないのに、いきなり店長に代わってお昼の間は一人で店を回すことに。その店のヘルプが終わったと思いきや、今度は更に1時間ほどかかる店舗へヘルプ指示。やはり店長のワンオペで、しかもアルバイトがみんな辞めてしまい1週間ほど店長一人という惨状。
毎日通しの店長を早く上がらせるために、やはり私が一人で店を回し、教わってもいないレジ締めを電話で教えてもらいながら実施。このような遠隔地のワンオペ店舗へのヘルプを毎日のように指示され、自分の店にいることがほとんどなくなり、ヘルプ先の閉店後のテナントからの脱出方法がわからないまま警備員さんに追い出されることが増えました。自分の手に負えない業務量で疲弊していきました。
ヘルプ先にはちゃんとベテランのパートさんや元店長クラスのアルバイトさんがいましたし、もっと距離的に近い社員さんが行くことは充分可能だったので、わざわざ遠距離から私を行かせる必要は無いのに。この時感じていたのは怒りや不条理さではなく、どうして自分が行かなきゃいけないんだろう、行ったところで勝手もわからないし、その店やテナントの決まりも何も伝えられていないから脱出できないし、というような、理由を知りたい思いが強かったです。
【パワハラによりうつ病発症】救ってくれたのは
誰かに相談しようにも、他の店舗へ見学に行ったあたりから周りの社員さんの対応がきつくなり、しかも女性ばかりの職場に男一人ですから味方はまずいません。表面では笑顔でも、そこは女性の恐ろしさ。一挙手一投足があっというまにSVへ報告され怒鳴られる日常で、うつ病発症には絶好の条件がそろいました。「疲れましたね」の一言を報告され、その夜にSVから「おい!疲れたって言ってたそうだな!疲れたって何だよ!」と怒りの電話がかかってきた時は、恐ろしさよりも驚きの方が大きかったです。
何も知らない新卒でしたし、労働問題について不勉強だったので、労働組合や労基への相談など考えもせず、長距離移動と不慣れなワンオペの連続に耐えられずに結局辞めてしまいました。退職後は地元に戻り、1ヶ月ほど寝たきり生活を送りながら「このまま人生終わるんじゃないか」と沈んでいましたが、十数年を経た現在は闘病生活とはいえ働くことができるまでに回復しています。
起き上がることもできなかった当時の自分を救ってくれたのはずっと続けていたバスケットボールでした。社会人バスケのクラブチームを探しては練習に参加、週の大半をバスケに費やし、生きる気力が回復してきてから、週1回のアルバイトを始めて慣らしていく。そんな地道な社会復帰でした。
職場でなにか違うと思ったら行動すること
とはいえ、うつ病は現在も予断を許さない状況で、毎月の通院・カウンセリングは欠かせず、自立支援医療保険制度と障害者手帳を利用しています。また障害年金の受給も申請しています。何事にも共通しますが、知っていることは武器になります。もし当時の自分に労基や労組の利用に関する知識があれば、もし指導とはかけ離れた罵声、怒鳴りつけを「おかしい」と感じていたら、もっと客観的に状況把握ができたかも知れません。
「考える」「調べる」気力がなかったあのときの自分にそれを求めるのは酷かも知れませんが、自分の人生の何割かを切り売りして働くのであれば、何か違うと思ったら主体的に動く癖をつけることが、自分を守る鎧になると思います。